「日本兵の遺品が日本の遺族に返還される」という話を聞きに行きました

2017/07/31

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故・西開地一飛曹の遺品、太平洋航空博物館パールハーバーのケネス・デホフ館長から日本の遺族に返還される

 

太平洋戦争の真珠湾攻撃直後にニイハウ島に不時着し、その後殉職した零戦パイロット西開地重徳・一等飛行兵曹(一飛曹)。その西開地一飛曹の遺品とされる木製の名札を、発見した米軍人の家族の依頼で太平洋航空博物館パールハーバーのケネス・デホフ館長が2017年6月22日、愛媛県今治市に住む西開地一飛曹の弟・良忠さんに返還しました。

 

それぞれ縦10㎝、横2㎝の遺品の名札は、「岸本勇盛」「松田龍雄」など姓名が記された5枚と、「事務」「イ3483」と書かれた2枚。ニイハウ島での戦闘後、西開地一飛曹の搭乗機付近で米陸軍調査官が発見し持ち帰ったそれら名札は、調査官の息子である米カルフォルニア在住のジム・アームストロング氏によって発見されたものです。

 

名札に書かれている名前は空母・飛龍の乗組員のものではないかと推察されたが、名前の主の遺族を見つけることはできませんでした。

 

この名札を元の持ち主であった西開地一飛曹とその遺族に返還したいというアームストロング氏の強い希望により、名札は一飛曹の機が展示されている太平洋航空博物館パールハーバーに渡りました。同館の零戦展示の前で天台宗ハワイ開教総長 荒了寛師のご供養を受けた名札は、健康上の問題で渡航できないジム氏に代わり、デホフ館長が日本の遺族に届ける運びとなります。

 

6月22日、デホフ館長と4人のスタッフらは、西開地一飛曹の弟・良忠さんの自宅を訪ねた。ケネス館長は上記の経緯を良忠さんに説明し、返還の意図を「75年もの時が流れる中で、敵国同士だった日本とアメリカ同士の友好は深まってきた。名札返還は、日米両国が悲劇的な戦争の歴史への理解と友好をさらに深めるために重要である」とした。その後、館長とスタッフは西開地一飛曹の墓を参拝し、冥福を祈りました。

 

デホフ館長から話を聞いた良忠さんは、「名札の主は兄の戦友かもしれない。アメリカから遺品を持ってきてもらい感激した。きっと兄も喜んでいる」と、涙ぐみながら感謝の気持ちを表したということです。

 

このお話を実際に館長さんから伺う機会がありました。

先日の「エアーショウ」を見に行った時に、初めてこの太平洋航空博物館を訪れて、その時にはじめてに西開地一飛曹のことニイハウで起こった出来事を知りました。恐らくこの館を訪れなかったらこの出来事自体を一生知らないままだったと思います。

(この館では日本語解説のあるハンディー解説機があるので英語のわからない人でもよーく理解することができます。)

 

来館から数か月後のある日、この件に関する館長さんからの日本メディア向けのお話が聞けるという事で、ちょっと興味があったので伺うことにしました。

こちらが太平洋航空博物館の入口なのですが、この施設のあるフォードアイランドへは一般人の車の乗り入れができません。なので循環バスに乗って向かうことになります。最初に驚くのがメインランドからの観光客を思われる人の多さ、逆に日本人の少なさ。日本人はほとんど見かけません。大型の観光バスは満席です。アリゾナ記念館・戦艦ミズーリでほとんどの人が降り、また人が大勢乗り込み、終点の太平洋航空博物館に向かいます。日本人として、とても形見の狭い居心地の悪いひと時ですが、これも歴史の事実です。しっかりと受け止めなければなりません。

 

こちらが館内に展示してある西開地一飛曹が飛び立つ直前の様子を再現した展示です。実査にに展示してあるゼロ戦は真珠湾後に生産されたものだそうですが、墜落、回収されたゼロ戦を見事なまでに復元しています。積んでいるエンジンはアメリカ製ですが実際に現在も飛行ができるそうです。

 

そしてこちらが、ニイハウ島に不時着したあとの状況を再現した展示。機体の残骸は本物です。

当時の写真もパネルに展示されいます。①日本海軍一等飛行兵曹 西開地重徳 ②不時着直後のゼロ戦 ③不時着後、一週間後の破壊させたゼロ戦

 

これらの写真での史実と、様々な諸説が混ざり合いニイハウ事件の話は今に伝えられています。

実際に起こった出来事は、まさにその場にいた人間にしかわかりません。ただ、戦時下の兵士のとる行動は大抵どこの国も一緒だと思います。出兵前にいろいろな状況下での対応は教えられていたはずです。

不時着事の場所をニイハウに決めていた軍。ゼロ戦は絶対にアメリカ軍に回収されてはならないという使命感。生き延びるために選択した手段。ほぼ外界との接触のなかったため真珠湾が攻撃されたと知らなかったニイハウ島の人たち。客人としてもてなされた兵士の気持ち。ニイハウ島に住む日系人の葛藤。いろいろなストーリーが複雑に絡み合た出来事なのです。

 

太平洋航空博物館の館長、ケネス・デホフさんです。この方が日本にいる西開地一飛曹の弟さんに今年の6月に遺品を届けに行ったのです。

 

この札の名前の人がだれなのか、なぜ西開地一飛曹が所持していたのか、事実は解明されていないですが、このゼロ戦の最後の操縦士である西開地一飛曹の所持品であると考えるのが妥当だと思います。(もしくは誰かの手でゼロ戦に収納されていたか)

そして、起こってしまった歴史的史実とは一切関係なく、本来の持ち主に戻そうという気持ちが今の日本とアメリカの友好な関係をまさに象徴していますね。

 

訪日の際に、感謝の印として安部首相からお皿を頂いたそうです。

 

実際に館長さんのデスクの前にイスを並べて画像を見ながらお話を伺いました。

 

現物は遺族のもとに返却されましたが、今後レプリカを作成して館内で展示する予定があるそうです。もしかしたら書かれている名前を知る人から連絡が入るかもしれませんね。

 

最後に館長は私たちにこう伝えます。「この館のあるべき姿は、こういった物語を語り継いで行くこと。そして過去の過ちを二度と繰り返し起こさないよう勤め、これから私たちがするべきことは何なのかを皆さんに提案できればいいと思っています。」

 

館長室には日米の友好の証の額が飾られています。「昨日の敵は今日の友」ですね。

 

最後に館長さんと硬い握手。すると握手の中でメダルを渡されました。

日本人も歴史的事実をしっかりと受け止めて、これからの未来をどうするべきか、何を始めるかをしっかり考えさせられるいい機会となりました。 みなさんも是非、太平洋航空博物館に足を運んで太平洋戦争の史実を学びましょう。

 

余談ではありますが、この「ニイハウ島事件」を題材にしたハリウッド映画が制作されることになったそうです。どんな映画になるか、物語を正しく伝えることが出来ているのか、興味深々です。

 

店舗情報(ホノルル)
太平洋航空博物館パールハーバー

住所

319 Lexington Blvd., Honolulu, HI 96818 フォードアイランド 37番格納庫

営業時間

博物館:午前8時〜午後5時,チケットオフィス:午前8時〜午後4時

休館日

元旦、感謝祭、クリスマス

連絡先

808-441-1000

ウェブサイト

jp.pacificaviationmuseum.org

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執筆者

三代目

三代目アロハタウンネット編集長。本牧の警友病院生まれ。日本より低反発マットレスを小脇に抱えハワイに単身永住。旅行で訪れるハワイは最高だったが、はたして暮らすハワイも最高なのか!右手にミラーレス、左手にGoPRo握って日夜ハワイを奔走中。